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血統登録のミス?バウアーストックの人生とは?サラブレッドではない? [競馬]

キタノオーとは、1955年の皐月賞2着、ダービー2着、菊花賞を制覇した名馬です。
しかも、翌年の天皇賞春も勝利しました。
その馬の母親はバウアーストック。
今回は、このバウアーストックについてまとめてみました。



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サラブレッドとして正しく登録されていたらより大きな名牝系の祖になっていたかも?
1959年代から1960年代にかけて、バウアーストックは日本生産界の最も華やかなファミリーを築きました。



名馬ハクチカラのライバルとして知られたキタノオー(菊花賞、天皇賞春、朝日杯3歳ステークス)もこの牝系が誕生し、そのきょうだいにはキタノオーザ(菊花賞)やキタノヒカリ(朝日杯3歳ステークス)がいたのです。

キタノヒカリは後に母としてアイテイオー(オークス)などを産みました。



しかし、現在このファミリーの血はほとんど残っていないのです。

バウアーストックが血統不詳のため、サラブレッドとして認められず、自身も子孫も“サラ系”として扱われたことが大きな理由なのです。

サラ系は生産者や馬主に避けられるため、どうしても血が発展しづらいのが現状なのです。



バウアーストックは、1926年にオーストラリアから輸入されたいわゆる“豪サラ”。

平地で12勝、障がいで10勝を挙げた活躍馬でした。

当時、帝国競馬協会が発行した競馬成績書には「父バウアストック、母フリヴオリチー」との記戴がありました。

決して血銃書を扮失したわけはなく、身元がはっきりしたサラブレッドだったのです。





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では、どうしてサラ系になったのかというと、競馬史研究家の田島芳郎氏によれば「定められた期限までに馬主が血統登録を行わなかったから」。

この怠慢?あるいは不注意?によって、バウアーストックとその子孫は血統不詳のサラ系として扱われることとなったのです。



逆境にもめげず1980年代に入ってもヒカリデュール(有馬記念)やキョウワサンダー(エリザベス女王杯)を誕生させたのだから並の活力ではありません。

競馬成績書の記載から、バウアーストックの正体は1922年にオーストラリアで生まれたブラウンメグだろうと推定されています。

しかし、たとえそれが事実だとしても、時計の針が巻き戻って系統の旬の時期が戻ってくるわけではないのです。



サラ系として忌避されなければ、系統は大きく伸長しただけでなく、血統界のメインストリームに影響を及ぼす名馬が誕生していた可能性もあったのではないでしょうか。



以上が、バウアーストックと、その子孫の人生についてでした。

まあ、時代が時代だけに、いろいろと杜撰なものが背景にあったものと思います。でも、でも、馬の人生には多大な影響を及ぼしてしまうこともあるのですね・・・。





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